お客様から多い質問です。
経理職30年の私がどうして、
このリラクゼーションの業界で
サロンのオーナーになるまで至ったかということ。
私の中では必然なんですけれども・・・。
【小学生】
実は私は小学校時代腎臓が悪く、虚弱体質でした。
なんと修学旅行や自然学校に行くのもドクターの診断書が必要な体質。
朝礼の校長先生の話が長いと決まって倒れていました。
両親は腎臓の移植なども視野に入れていましたね。
幸い移植はせずに、なんとなく中学生になり、部活動も始める事が出来ました。
家族からはいまだに、
体の弱い存在で受け止められています。
【父との死別】
高校生の冬に大好きだった父との死別。
【社会人】
なんとなく、丈夫な体になってきたのかしら?
と思いながら観光関係の専門学校に行きました。
旅行業界の国家資格もとり、添乗員の仕事をしていました。
ただ、添乗続きで、体が疲れやすくなっていたことと、、
営業のノルマが高くなっていく事もつらかったです。
いつでも疲れやすいのが、私の体。
そんな事とも向き合いながら、
【結婚24歳の秋】
旅行会社を退職し、すぐに結婚しました。
いま思えば冒険です。
私24歳・主人は23歳でした。
この若さで結婚したので、3年は両輪で家計を支えていかなければとなり、派遣会社で勤務しました。
こちらで色々と事務職を覚え、経理の勉強を始めました。
高校生のころには数学だけはトップクラスの成績だったので、
とても楽しかったです。
【妊娠・出産・職場復帰】
そして、派遣会社勤務中に妊娠
年子で長女・長男を出産し、
同じ派遣会社に復帰しました。
息子1歳3ケ月で保育園に預け、再度経理の仕事につきました。
代表に大事にされ、経理のノウハウ&経営の色々を教えて頂きました。
その後、生活のリズムに合せ転職を数回しました。
全てフルタイムのお仕事でした。
女性が働きながら、家計を支えるのには、生活環境の変化に対応できる企業でないと
継続勤務が難しいということも痛感しました。
通勤時間がかかる場所への配属のお話などは条件に合わず、断りました。
【交通事故】
そんなこんなで働き続けていた時に、
交通事故にあいました。
寒い冬の雪がちらつく午後。
福袋を買いに行ってルンルンで帰宅する途中でした。
斜め後ろの車線からの衝突で、私の首は大打撃。
ドクターが言うには、斜めが一番いけないらしいです。
なんせ、しなりがない!
首の頸椎は斜めになり、
握力低下としびれに悩まされました。
左手握力は10です。
小学低学年の握力です。
1リットル牛乳2本が左手では持てません。
突然襲われるしびれで、沸騰しているお鍋の中に
料理を突然落としてしまい、
熱湯を顔に浴び
瞬時によける事も出来ず、
一人泣いていました。
【ストレスで母が帯状疱疹入院】
そんな大変な経験をそばで見ていた母が
今度はストレスで帯状疱疹になってしまいました。
私の通院は半年以上続き、そこで出会ったドクターの手が素晴らしく、
その時にこのドクターの手のような治療がテニスボールだと知りました。
【トリートメント資格取得】
その後、何か新しい事を始めたいな-と考えていたので、
どうせ始めるなら、私の通院に付き添ってくれた母の為にできる資格を取ろうと
トリートメントの学校に行きました。
そこで、3つのスクールと2つの通信教員で
取れる資格を取りまくったのです。
全てのスクールでセラビストの業界に就職しないかとスカウトを受けました。
全て有名なホテルや旅館のサロン経営者です。
【セラピストとしての副業開始】
まだまだ、経理の面白さ、
会社では10億の資金繰りを任されていたので、簡単にはやめる事もできません。
全てお断りして、
副業で、有名高級ホテル、高級老舗旅館で勤務し続けました。
ホテルや旅館のお客様からは、常にお店どこかで開いていない?
とよく聞かれました。
【出張トリートメント開始】
その後30年以上の親友が知り合いでの紹介で、出張のトリートメントを
開始いたしました。
開業を始める半年前の事です。
【緑内障発症し退職】
そんな時に、私の緑内障の発症。
なんとなく見えにくく、不自由な感じがしていました。
しかし、辞職を決意した事件が。
数字の4を1と読み間違えてしまったのです。
【開業】
その後、テナントとのご縁があり
開業に至りました。
ですので、私のトリートメントメニュー
は予防医学的に重きを置いた施術か随所に取り入れています。
辛い経験をしてきたからこそ、
お客様には少しでも楽になっていただきたい。
店舗経営も半年を迎えたので、今後の店舗の維持のために、
現状価格での提供が難しく感じてきました。
破格値設定の提供料金を改定いたします。
少しでも、お体の疲れがひどい方の為に、
値上げをして店舗を継続していきたいと考えました。
よろしくお願いいたします。